江戸の町はコレラとどう向き合ってきたか

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コレラとは

菌による感染症

コレラ毒素を合成するコレラ菌によって発症する。
感染力が強く、世界の中でもアジアで流行するアジア型は死亡率が高い。
普段はコレラ菌は海水や甲殻類に寄生しているなど諸説あるが
感染発症するのは人間のみである。

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感染経路と症状

コレラ菌に汚染された水や魚介類を食べることで経口感染し、
胃液で大部分が死滅するものの
少数が小腸に達して増殖し、コレラ毒素を産生する。
毒素の為細胞内の水と電解質が大量に流出することで
感染後2~3日には激しい下痢や嘔吐を起こし、
急速に脱水症状を起こして低体温となる。
症状が進むと血行障害や血圧低下、筋肉の痙攣、意識障害などを起こし
死亡してしまう。
治療を行わない場合、アジア型の死亡率は75~80%。

 

治療方法

水と電解質を補給
抗生物質で菌体数を減らし毒素を減らす

 

予防

患者の吐瀉物や排便に注意する。
また、飲食物に気をつける。
通常の接触で感染することはほぼ無い。

 

日本でのコレラの流行

文政五年

文政五年(1822年)に初めて日本国内で罹患者が見つかる。
最初の世界的大流行が日本にも及んだ形。
感染ルートはインダス河流域から中国・朝鮮半島または琉球を経て
下関に伝わったと考えらている。
長崎でまず広がり、ほぼ全ての家庭で罹患者が発生した。
家族全員が犠牲となったケースもあったようだ。
長崎の人口約3万人の内日本人が982人、オランダ人が601人
合計1583人が罹患。
治癒したものは日本人436人、オランダ人380人。
死亡率はそれぞれ約55.6%、約36.8%。

長崎の医学伝習所にいた松本良順は長崎奉行と相談し
良順も私費を投じて治療薬を15種類作った。
良順は生徒らと飲食をした一時間後に下痢と嘔吐を起こし、
講師であるオランダ人医師ポンペによってコレラと診断された。
声も出せない状態だったが、
キニーネ(抗マラリア剤)とアヘン(鎮痛等)を服用し
温湯やブドウ酒を飲み、温浴するというポンペの治療によって快癒。

ポンペは長崎奉行所へ生鮮食品禁止を提言した。

九州~箱根あたりまで流行したものの、他の疫病と明確に区別されず
庶民の間では病名も無かった。

 

安政五年

2回目の世界的流行は日本には及ばなかったが、3回目が波及。
安政五年(1858年)から3年にわたり、二度目の流行が起こる。
今回も九州~箱根あたりまで流行。
江戸までは達しなかったとする文献が多い。
達したとする文献では、5月に長崎の異国船から伝播し7月に江戸へ。
数ヵ月で江戸だけで10万人が死亡したとする。

 

文久二年

文久二年(1862年)、残留していた安政コレラが大流行。
村上 もとか先生の JIN―仁― で描かれていたのもこの流行。
56万人が罹患し、7万人、多いと数十万人が亡くなったとする文献もあるが
倒幕派が不安を煽る為に流したデマ説が有力と見られる。
夏には麻疹流行で数千人亡くなっている状態で
コレラが流行ったので、混同されている可能性もある。

死亡者が多く棺が街道にずらりと並べられた。

日野宿組合名主で後に新選組の後援者ともなった佐藤彦五郎は
私財を投じて薬剤を施与し、幕府から白銀を賜っている。

ポンペは治療に当たるほか、コレラの解説書を作成して配布した。
長崎では一ヶ月で流行が止んだ。

適塾の緒方洪庵も、複数のオランダ医学書を参考に5日ほどで
『狐狼痢治準』を作成し、他の医師たちに配布した。
門人の矢田敦も別府にて治療を行った。別府では死者は出なかった。

 

人々への影響

ころりという呼び名 

異国船の来航により異国人がもたらしたとされ
虎列刺という当て字がされた他、ころりと死ぬので
ころり(虎狼痢、虎狼狸、古呂利)、鉄砲、見急、
三日コレラ、トンコロリン、三日トンコロ
とも言われた。
頭は狼、腹が狸で背中が虎など、キメラ様の
妖怪が想像され、絵に描かれた。

攘夷思想に拍車をかける結果にもなった。

異国人からは日本の方が未開の地であり、
得体のしれない感染病があるのではと恐れていた。
水も不潔だという常識があった為、日本の水も不潔だと考えていたようだ。

 

民間信仰との関係

コレラは妖怪であるという説の他、
オサキ狐を異国人が放したものだという噂も広まる。
一般の人たちは神仏に祈り、御札や加持祈祷、民間療法に頼った。
コルクを焼いて粉にしたものを飲んだり、梅酢を飲んだり
疫病神を追い出す為に鐘や太鼓を鳴らしたりした。
臍に墨で印をつけてお灸を据えるという方法もあった。

狐は犬に弱く、狐に化かされても犬が吠えれば
狐が怖がって逃げていくものとされていたこともあり
御犬様(狼)がコレラを追い出してくれると考えられ、
狼を祭神ヤマトタケルの眷属として祭る武州秩父の三峯神社や
武蔵御嶽神社などが信仰を集めた。

文久コレラの時、コレラに罹患して治った人の家から
鼬のような獣が出ていったことが目撃されたのが数件あり
これもオサキ狐が原因とする説を補強した。

尾裂狐(おさき狐)
オサキ狐は大きい鼠くらいの大きさで、毛並みは白や黒など。
この狐に憑かれるとあらぬことを口走る。
御犬の神札で追い払えるとされた。

 

関所の利点

箱根やその他の関所で人の動きを止めることができた為
九州から広がった感染も箱根辺りまでで堰き止められた。

明治政府になって箱根関所が廃止された後、2~3年おきに
数万人単位の患者が出て、明治十二年と十九年には
十万人以上の死者が出ている。

 

経済などへの影響

コレラに罹りやすいと言われる魚が売れなくなり、
罹りにくい野菜を求める人が増えて野菜類が高騰。

明治にはラムネが予防や緩和に効くという噂が広まり
多くの人がラムネ水を買い求めようとした。

  

参考文献

  • 塩沢町史
  • 武江年表
  • 日本医療史
  • 図説日本の“医”の歴史
  • 感染症の近代史
  • 幕末狂乱 コレラがやって来た!
  • Wikipedia コレラ
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